御柱祭の勇壮な木落としとは!?木遣りの鳴り響く日本三大奇祭の歴史と見どころ
『御柱祭』とは、長野県諏訪地方・諏訪大社及び全国の
諏訪神社や関連神社で行われる最大の祭です。
正しくは『式年造営御柱大祭』といい、長野県指定無形民俗文化財、
日本三大奇祭の一つとしても知られています。
山中から『御柱』として樅の大木を16本切り出し、
長野県諏訪地方の4箇所の各宮まで曳行し、
社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭…。
今回はこの御柱祭についてお話していこうと思います。
出典:www.city.suwa.lg.jp
御柱祭の時期
この御柱祭は毎年ではなく7年目ごとに行われます。
正確には満6年間隔で行われるため『6年に一度』なのですが、
慣例として数え年の7年目ごとという意味で『7年に一度』
と表記される事が多いです。
前々回の開催は2004年、前回の開催は2010年でしたから、
次は2016年に開催されます。
また、この祭りは数ヶ月かけて行われ、
その工程は大きく二つに分けられます。
まず4月に『山出し』……山から御柱となる木を伐り出し、
5月に『里曳き』……大勢の見物客に見守られながら、
各社に向かってゆっくりと木を運んでいきます。
出典:www.yukoyuko.net
御柱祭の歴史
室町時代に記された『諏訪大明神絵詞』によると、
諏訪大社の御柱祭が大規模で行われるようになったのは桓武天皇
(在位781~805)の時代からだそうです。
しかしそれ以前に、
諏訪地方では大木を建立する祭りが行われていたと考えられています。
その起源については諸説あり、まだ詳しい事は明らかになっていません。
例えば『定期的に神殿を新しく造営していたものが、
簡略化によって四隅の柱の建て替えだけが行われるようになった』
という説や『トーテムポールのようなものではないか』という説、
『御柱は結界を張るための標識だったのではないか』、
『御柱が世界の四隅を支える柱を象徴しているのではないか』など、
ちょっと現実離れした説もあります。
御柱祭の由来やご利益は?
御柱祭……と言うよりは諏訪神社のご利益ですが、勝利祈願、
商売繁盛、子授かりの3つがあります。
その全ては諏訪大社に祀られている『建御名方神
(タケミナカタ)』の神話に基づいているそうです。
しかしこの建御名方神、『建御雷神(タケミカヅチ)』
という神様に力比べを申し出たら手を氷や剣に変えられ、
思わず逃げ出したものの追いつめられて殺されそうになるなど、
とても勝利祈願には程遠い神話の持ち主です(笑)
結果として諏訪地方から出ない事を条件に命を救われ、
そこで妃神(妻)と出会いたくさんの子供に恵まれたと
思ったら妃神と大喧嘩で別居……何だかもう、
色々とツッコみどころの多い神様なのです。
御柱祭のやり方と見どころ
まずは4月に御柱として使う木を切り出します。
直径は約1メートル、長さ約17メートル、
重さは10トンにもなる巨木を8本切り倒したら、
5月には何十キロメートルと続く街道を人力のみで曳き、
各宮の四隅に建てます。
また、その道中坂を下ったり冷たい川の中を渡ったりと、
地元ケーブルテレビ局による生中継が実施される程の壮観な見せ場があります。
【動画】2010 信州諏訪 御柱祭
出典:youtube
他の地方から行っても見物や参加はできる?
観るだけなら他の地方から来た方でも大丈夫ですが、
実際に参加して御柱を曳くとなると、
地元に親戚や友人がいる方でなければ難しいでしょう。
また、御柱祭は誰でも参加出来るような、楽しいだけのお祭りではありません。
御柱に使う木は直径約1メートル、長さ約17メートル、重さ10トンという代物。
それを人力で運ぶのですから、危険が伴わないわけがありません。
現に、毎回必ずと言ってよい程死傷者が出ているのです。
そういう事もあってか、御柱祭に否定的な意見を持っている方も少なくありません。
それでも御柱祭が行われているのは、諏訪地方に住む人々にとって、
御柱祭がクリスマスなどの陽気なイベントとは
一線を画する『神事』であるからです。
初めから死を覚悟して、
それでも安全対策は欠かさず御柱祭を見事成功させようとしているのです。
百聞は一見に如かず、実際に自分の目と耳で祭りの
様子を観てみる事を強くオススメします。
実際に観て何を思ったか、どう感じたか……
色々と学べる事は多いと思いますよ。
アクセス:
①上社
JR中央本線上諏訪駅下車・車20分
中央道諏訪ICより車 8分
②下社
JR中央本線下諏訪駅下車・徒歩10分
TEL:諏訪大社
上社 0266-52-1919
下社 0266-27-8035
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